強く、大きな私の想い...真剣。

何かやりたいとウズウズしている。

やりたいことは実は何となくわかっている。

何となく...だからもう一歩が踏み出せないでいる。

真剣に考えよう。

真剣に自分に問いかけよう。

これを実現するにはかなりの元気と余裕と、ものすごく多くの力が必要。

まわりも巻き込むにちがいない。

真剣に考えよう。だってやってみたいことだから...


私は、年齢に関係なく、やりたいと思うことをどんどんやってきました。

でも、そのほとんどは自分次第ということが多かったので、どんどんできました。

今、どうしてもやってみたい事ができたのですが、自分ではできないことがありすぎる。

周りをまきこんでしまうことになるので、なかなか踏み出せないでいます。

何を怖がっているのか...

周りを巻き込めるだけの強く大きな「想い」が必要です。

もし、そのうち私が何かとんでもないことやりだしたら、

それが今私の言っている 「何か」 です。

はあ...強く大きな「想い」が必要。

はたして私にその強さがあるのでしょうか...

はたして私は大きな人間でしょうか...

強く大きな「想い」があるとわかるまでに、まだ時間が必要。

今はまだそれが正直な気持ち。

真剣に考えよう...
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Happy Mother's day...Big Hug(母の日に思うこと)

今日は母の日です。本人は何を期待するわけではないのですが、娘はそう思っていないようで、母親を喜ばせようとなにやら企てる日です。

私の大好きな花を買ってきたり、好物のチョコレートやケーキを買ってくれたりと、その日はほとんど私のために過ごしてくれる特別な日というわけです。毎年、ラブリーなメッセージとともにいただくものは、美味しいものばかり。今年は私のお気に入りのカフェ、Neo Coffee Bar で大好物のロールケーキとラテをご馳走になりました。しかも、母の日スペシャル仕様の新鮮フルーツがいっぱい飾られたイチゴショートケーキのお持ち帰りまで。



今年はそれに、なおかつスペシャルチケットがついてきました。
コーヒー、デザート、プロのコメンタリー?(娘本人)による解説もついた映画観賞券です。(ああ、昨晩遅くまで何やらガタガタとやっていたのはこれだったんだあ。なるほどね) 
彼女の手作りのチケットですが、なかなかの出来栄えです。よく考えると、今までも彼女は毎年、母の日やクリスマス、もしくは私の誕生日前にはなにやら忙しそうに、少しコソコソと部屋で作業をしていました。そのたびに知らない顔をしながらも、さあ、今年はなにかな?とニンマリしている自分にも気づき、ちょっとホンワカとした気分になります。まあ、まんざらでもありませんね、そういうややくすぐったい感じって。

彼女が私のためにアイデアを引き出して、それを形にするために時間を費やす...それだけで十分母は幸せなのですが、彼女はもっと母を幸せにしてやろうと考えるわけです。その気持ちがまたこの母を幸せにするのですが、彼女はもっともっと喜ばれることをしようとトライしてくれます。そうして結局、その日はカードを読んで最終的に泣かされちゃうわけです。

母親として彼女にしてきたこと、これからすることにどれほどの価値もないけれど、寄り添った時の温もりだけは常に持っていたいと思います。感情的になってしかりつけたことも、泣きながら口論したこともあります。それでもそのあと必ずぎゅうっと抱きしめることで、やや気まずくなった空気がだんだんと溶けていき、母娘としての暖かな結びつきを確認しあいます。何があっても私はあなたを嫌いにならないし、なにが起ころうと、母の愛情は変わらないということをその行為で伝えます。たとえそれは、娘が私のことを嫌いだと言うことがあったとしても変わることはありません。

Big Hug...をすることで、言葉では伝わらない、言葉では伝える必要もない愛情を、きちんと彼女に与え、喧嘩さえも安心してできる状態を与えることも、母として母親しかできないこととして、やってきました。これからもずっと続けていくことでしょう。将来、彼女が一人で生活するようになっても、このハグで得た温かみは彼女の中で消えることがないことを願います。

この後、彼女にもらったフリーチケットを使って、彼女と映画館でデートとなるわけですが、二人で思いっきり笑える、思いっきり楽しめる作品をたっぷり時間をかけて決めたいと思っています。その時、私が決めた映画に文句言わないでね。喧嘩したくないから...(笑)

世界は広がる Toronto to Paris

昨日、私に新しい人との出会いがありました。そして、今日、お友達になりました。

インスタグラムで見た写真に動かされ、メッセージを残したことがきっかけでした。パリでカメラマンとして活躍している彼の写真には、何か暖かな、自然にシェアできる瞬間が映っていました。あの場には私はいたこともないし、あの瞬間を見ていたわけでもないのに、まるで知っているかのような気分になり、フランス語がまったくわからない私ですが、どうしても話をしてみたいと思い、とりあえず英語でコンタクトをとってみることにしました。

彼から驚くほど速く返事が返ってきました。文章からもその暖かな人柄が感じ取られ、安心してまた次の会話が生まれます。「つたない英語でごめんなさい」と言う私に対し、「僕の英語もパーフェクトではないから気にしないで」という優しい一言から始まり、写真のこと、アートのことなど話題が付きません。何度かメールが行ったり来たりしている間に、すっかり言葉もラフになり、結局、時差も忘れて夜遅くまで話し込んでしまいました。

フォトグラファーという仕事に、敬意を表します。素晴らしい仕事です。写真自体が美しいかどうかということだけしか今まで考えていませんでしたが、一瞬の出来事をその時のままの感情を含めてとらえ、未来に残していける仕事ってほかにないように思えます。自分すら見ることのできないその瞬間の表情をとらえ、会ったこともないかもしれない異なった人物がその1枚を見て動かされていく...やっぱり素晴らしいことです!

お互いさっきまでまったく知らない者同士。パリとトロントという全く異なった場所にいて、いきなり始まるリレーションシップ。はっきり言ってテクノロジーというもの自体、普段どんなに便利に使ってお世話になっていても、ありがたさを感ずることも少なく、まるで当然のように普段使いとなり、それほど重要と思う機会もないのですが、こんな風に出会うこともあるということを体験し、やはりすごいことだと認識させられました。そして、改めて英語の重要性も。(もっと勉強しなくちゃ!)

彼と長話をしたあと、私がどうしてもほしかった写真をいくつか発注し、今日その手順が終了しました。あとはその写真を私が贈りたい人に送るだけ。人の作り出した一瞬を、彼のカメラだけが時を止めて残し、それが私の手元に届き、また、誰かさんとその一瞬をシェアできる。便利さを超えて、何か感動的でさえあります。やはりテクノジーに感謝すべきでしょうかね...

私には残念ながら写真に瞬間を残すという才はありません。せいぜい彼や彼のようなフォトグラファー達の作品を楽しませてもらうことにします。もしかしたらまた、素晴らしい機会に出会えるかもしれません。こうしてまた私の世界は広がっていくのだと思うと、またまたワクワク、ドキドキしてきます。

いくつになってもこれって必要。いい感じ...

ジャノメくんに感謝を込めて...

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ここのところ、しばらくヴィンテージの着物や帯を使ったバッグ作りをお休みしていたのですが、今週になってまた何かを制作したい...という気分になり、久々にトートバッグを作ることにしました。前回日本に帰った際に友人からいただいた帯を選び、パターンを決め、取り掛かります。

帯の場合は洗濯をしないため、すべての糸をほどいた後に半日風に通してからアイロンをしておきます。この作業をしておくと、いざ縫いたいと思った時にはいつでも始められるため、なるべく早めに済ませてストックしておきます。ここのロフトには住人がフリーに使えるルーフトップがあるため、時々着物やら帯やらを持って行っては解いたり干したりという作業をさせてもらっています。トロントのロフトの屋上で日本の着物や帯が見られるなんて、ちょっとした風物になりそう...(と一人で勝手に喜んでいるのですが)

4ヶ月ぶりくらいだけどちゃんと覚えているかしら...と何やら少し気が小さくなって、心配しながらも過程を順番に辿っていきます。柄合わせの必要な部分もあったため、パターンを抜く段階から時間がかかり、いきなりこの帯でなくてもよかったのに...などと変にマイナスなイメージが頭をよぎります。ダメダメ。もっと集中しましょう。

パターン抜きをした布の一枚一枚に端ミシンをかけておきます。これは私にとってとても大事な作業。ここで手を抜くと後で大きなバチが当たるとわかっているので、たとえ縫い付けた後に切り落とすとわかっている部分であったとしても、必ずすべてにジグザグにミシンをかけます。こうしてパターン抜きが終了。やっと本格的にソーイングの始まりです。

どんなにネガティブに始まった作業も、本格的に縫い始めると楽しくて面白くてドキドキします。出来上がりを想像したり、だんだんできてくる様子を見ると、もっともっとソーイングをしたくなります。今のミシンとはもう12年以上の付き合いになるでしょうか。カナダに来てすぐに購入したものです。結構無理をさせることもあるため、お掃除はなるべくマメにして、時々「ジャノメ君、エライ!」などと声をかけながら作業をしています。なぜか彼だと思っている...たくましいからかなあ。

そのたくましい彼とともに楽しく始めた作業も出来上がりが近づくと、緊張に変わっていきます。特に最後の仕上げともいえる押さえミシンをぐるっとトップの口の部分にかけるときは、正直な話、息を止めてしまうため、足踏みを止めるたびに大きく息を吸い込みます。2,3回深呼吸して息を整え、再度踏み込みます。布が何枚も重なる部分はややゆっくりめに慎重にソーイング。最後の返し縫が終わると、ドキドキ感が一気にまた盛り上がります。完成の形が現れます。

「ああ、これ好きだわあ」と思えた瞬間は本当に幸せ!逆に「あれ?なぜこうなった?」と疑問が残る場合は気に入るまでとことんあれこれ作業しなおします。それでも気に入らない物はこの世に出ることもなく、何かに使われるアイデアが浮かぶまでお蔵入りです。小さなブローチになったり、出番なくそのままだったり。私としては、自分が気に入らない物を世の中に出すことはどうしてもできません。どんなに美しい素材であろうと、私の想いにそぐわない物は、私にとって意味がないからです。私が作るバッグは私にしかできないバッグなのですから。

いままでに2000個以上のバッグが世界にでていきました。
芸者の世界に興味があると言うイタリア人の女性は、私の作るバッグの色や形が日本を感じて好きだとわざわざ手紙を送ってきてくれました。オーストラリアに住む女性は、私がバッグを売り出して以来、ずっと購入し続けてくれているありがたいお客様。日本好きの奥様への誕生日の贈り物として、私のバッグを購入してくださるスイートなアメリカ人の男性。フィリピンの若い女性からは、何度もリクエストをいただいて、長い間待たせてしまうのに、購入されるたびにうれしいレヴューをいただきます。たぶん、20点以上持っているのではないかしらと思われる本当に有難いお客様が世界中に何人もできました。時々涙がでそうになるレヴューをいただきます。心から感謝するばかりです。こうして、日本の古い素材から、新たな出会いが生まれていきます。

45歳にして始めたソーイング。キャリアというキャリアがないまま始めたバッグ作り。だれから教わったわけでもなく、ただただ上手になりたい、私らしい物を作りたいという想いと、有難い人たちからの励ましに押されやってきました。
だからこそ、1点1点、心を込め、丁寧な縫製を常に心がけ、私らしい形をきちんとデザインし、内側も手を抜かず、世界にただ一つの美しいバッグを感謝しながら作りたい。

絵についてもそうですが、想いを持ってやっていることがある
そんな私が幸せでないわけがありません。
この想いがきちんと形になって表れていますように...
そして、誰かを幸せにできますように...

ビッチからの脱却...優しい人でいたい

私の主人はとにかく優しい人です。
その大きな体つきとイタリアンマフィアと思われた顔つきやムードから想像できないほどの暖かく優しい心を持った人です。誰に対しても平等で、決して人をジャッジしたりしません。ある意味それはトロントという街で生まれ育ったことときっと関係しています。この街は多くのイミグランツであふれています。何度も言うことですが、「受け入れる」都市。誰に対しても平等で、一緒に生きているのです。そこで、その一例となる話をひとつ...

私たちの住むストリートに、コーヒーとドーナッツで知られるショップ、「Tim Hortons」があります。どちらかというと、近所の馴染み客の多いたまり場的存在のようですが、安くてダウンタウンの中心に近いということもあって、それなりに利用されているお店です。

このレジデンスに引っ越してきたころ、もう3年近く前になりますが、そのお店の前にいつも立っている男性がいました。ストリートカーに乗るたびに窓から同じ光景が見え、だんだん彼が気になってきました。身なりや雰囲気から、ホームレスとすぐにわかるその男性は、お店に出入りする人達のためにそのたびにドアを開けては彼ら彼女らから小銭をもらっていました。見た目には健康体と言えそうな体つきでしたから、おそらくそのお金で食事代くらいはカバーできていたのでしょう。私も娘も主人も、それぞれに見かけていたので、ほとんど毎日のように常にそのお店の前に彼は立っていたのだと思われます。私はわかっていてわざわざそのお店による気もなく、ただストリートカーの窓から「また立ってる」ことをぼんやり眺めるだけでした。

そのうち気が付いたのですが、いろいろな人達が彼と話をし小銭を渡し「See you tomorrow!」と明日また来ることを約束します。もちろん彼も店員も、お店の中までは彼は入れないことはわかっています。いやなにおいを店内に運ばれて問題になってもお互いに困るからです。でもお店側も決して追い払うことはしませんでした。私は彼があそこに立っている限り、あのお店にコーヒーを飲みに行くことも、ドーナッツを買いに行くこともないと思っていました。毎日行っては小銭を恵んで帰る人々がいることに気づきやや驚きました。ホームレスの男性がホテルのドアマンのように客と話し込んでチップをもらっているなんて信じられないと。

私のこの驚きの物語りはここで終わりませんでした。
そのうち、ドアの前で立つ彼の姿が消えました。「今日はいない...病気かなあ」などとやや心配(笑)しはじめて2,3日たったころでした。AGOでのアブストラクトペインティングのクラスの帰りだったと思います。夜遅くにいつものようにストリートカーに乗り、ふと、そのお店に目をやると、なんと彼が店内で営業終了後のクリーニング作業をしていたのでした。赤いTim HortonsのTシャツを着て、楽しそうに床掃除をしている彼の姿に思わず「あっ、いたあ!」と微笑んでしまいました。娘とも主人とも、「なんだかうれしいねえ」と言い、ふふっと笑いあいました。

そして、彼はお店のロゴ入りTシャツを着て、ドアの前に立つようになりました。昼間はドアマンとして小銭を稼ぎ、夜は店内のクリーニング作業員。髪もきれいに切りそろえ、どこから見ても、もうホームレスには見えませんでした。そして、彼と話し込む女性の姿もそのうち見かけるようになりました。その後暫くしてもう彼の姿は見えなくなりました。
私たちの間では、どこかで彼女と一緒に暮らしてるのかもしれないと、勝手に恋愛映画のようなストーリー展開を願ってややあたたかな気持ちにさせてくれる優しい街トロントの物語りとして、今でも時々話題に上がります。

日本では彼のようなストーリーは生まれにくいことを知っています。私自身も結局、彼に小銭を渡す機会すら作れませんでした。正直、恥ずかしいと思い反省しています。以前、私はホームレスに対し過剰に反応し避けるようにするため、
「Are you Okey? Don't worry, They just try to live.」
(大丈夫?心配しなくていいよ、ただ生きようとしてるだけだから)
と主人に言われ、そこでまた、私という人間の小ささとトロントというこの優しい街で生まれ育った主人との大きさの違いをヒシヒシと感じ、優しくなりたいと思うのでした。
それは人に対し、上からの目線で何かを恵むということではなく、ただただ同じ人として、すべての人に対しそれぞれの人生があることを認めるというきっと基本的なことなのです。こういう事を日本で言うと、偽善的に聞こえるかもしれませんが、トロントに来ればわかります。ここでは普通なんです、こういうことが。今更ながら、優しくなりたいし、優しくありたいと思います。

最近始めたダンスは日本の子供達から学び、トライしはじめました。昨日まで黒いと思っていたものが白いことに気づきはじめ、さっきまで白く見えていたものが、今は赤く見えるというようなことがあるとわかってきました。まだ生きることを毎日のように学んでいます。きっとこの学習はずっと必要なものなのでしょうね。ありがたくそれぞれの教授たちに深く感謝し、謹んで勉強させていただきます。




Profile

Author: tamami gavrilovic

エタラジスト
窓を装飾する人という意味の仏語
以前西武百貨店に店内装飾の担当者として勤務していた際に呼ばれていました。
カナダに移り住み12年。今も日々の生活を自分なりに魅力的に作っていく人生のエタラジストでありたいと思います。
Toronto市内のロフトに移って2年。最近は絵を描くことに夢中です。
Life is hard ではありますが、Life is wonderful でもあると信じています。

Instagram tamamigavrilovic

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